仕事と本業
どんなことを日記に書いたらいいかといつも思っていますが、直感に従って出てきたことを書くことにしました。
自分の仕事について出てきたので、書こうと思います。
今書き終わりましたが、すごく長くなってしまいました。
時間がある方はぜひお付き合いください。m(__)m
20代の頃に東京ドームの近くにある音楽の専門学校で電子オルガンを学んでいましたが、卒業後、音楽でご飯が食べていけるのか??
という素朴な疑問にぶつかりました。
その頃の知り合いもあまり音楽とは関係のない仕事に付いている人が多かったように思います。
自分も音楽とは関係なくスピリチュアルな癒しのダイヤモンドの会社に行こうとその時は決意し、在学しながらダイヤを使った波動の調整の仕方などを会社の研修で行っ
ていましたが、何かやはり自分には合わない気がしまして、就職は止めてしまいました。
学校も卒業をし、アルバイトでねるとんパーティーの音響さんをやりながら、今までそれほど喋ることが得意ではありませんでしたが、司会もやらせてもらいました、
あっ、結婚式関連の仕事もいいなと思いつつ、何を思ったか、結婚式の音響をバイトとし、プロの結婚式の司会者を目指しました。
今思うとなぜでしょう?あまりしゃべらない分、実はしゃべりたかったのかもしれません。
なんと、事務所のオーディションも受かってしまい、プロの司会者としてデビューすることになりました。
しかし、慣れない人があまり調子に乗ってはいけません。
披露宴の仕事の何回目かに無意識だったのでしょう。新郎新婦のビデオアルバムの時に「結納」を「けつのう」と言ってしまい、自分では気がつかず、あとで事務所に連絡が入り、それ以来仕事が来ることはありませんでした。。
しかし、音響の方の仕事はその分どんどん回ってくるようになり、一日三本披露宴をやることも多くなりました。司会の時よりもなんか仕事がやりやすいような、、こちらのが自分に合っていたんですね!
自分のことを知るいい機会になりました。
しかし、何年かその仕事を続けているうちに仕事がハード過ぎるようになり、体重も49キロほどしかなくなってしまいました。
ちょっと鬱状態にまでおちいり、仕事を辞めることに。。
疲れていたせいか何かもっと癒しの仕事に着きたいと思い、5年程前に受けたマッサージのお店を思い出し、店名をインターネットで検索したところ、ホームページが出てきました。
その会社ではマッサージだけではなく、プラネタリュームでの癒しのコンサートの企画運営も行っていました。
これは!と思い、とくに仕事も募集もしていませんでしたが、ホームページのメールフォームから、だめもとで仕事をさせてもらえないか尋ねてみることにしました。
すると、ぜひ面接に来てください、との返事がきました。
面接はプラネタリュームの上映のあとで行われました。
実際に上映も見させていただき、名嘉睦稔さんというアーティストの版画を星とともに上映をし、バックには沖縄のてぃんがーらが流れ、ほんとうに癒される素晴らしい空間に
感動しました。
そして、面接も5分くらい話しただけでしたが、数日後に採用の連絡があり、プラネタリュームの癒しのコンサートの音響さんとして働くことになりました。
次第に社長の自宅のオフィスにも行くようになり、数人で企画の仕事にも携わらせてもらうことになりました。
社長の家には何か不思議な小さな文字で円が書かれている紙が額に入れて飾られていてなんだろう?と思っていました。
「人類即神也」と書かれていて、そのことについて聞くと、白い光に周りが黒の小さな写真のようなものをお守りと言って社長がくれました。
そして、お昼の時間には、奥の部屋から社長の奥さんが本を持って来てくれて、そこには五井昌久と書かれていました。
やがて、仕事の人から集まりがあるから一緒に行きましょうと言われ、行ってみると大勢でお祈りがはじまりました。
最初はなんかすごいところに入ってきてしまったとおもいましたが、そのまま続けていると今まで鬱っぽかったのがまったくなくなってしまいました。
そして、胃腸がいつもきりきりして、胃薬がかかせなかったのが、これもすっかりなくなってしまい、体重は60キロに増えました。
そして、癒しの波動の方達との出会いがたくさんあり、なんとなく今まで一人でやってきたような孤独な感じがなくなりました。
それからは仕事でもなんでも迷いがなくなり、色々なことを思い切り出来るようになりました。
これも全て守護霊様、守護人様が導いてくれたことなのだと今では感謝をしています。
今回もとても長い日記になってしまいました。
m(__)m
読んでくれた方、ほんとうに感謝です。