天を信頼する
最近、色々なことを学ばせていただく機会があり、とくに感じる学びは天を信頼するということです。
どんなことでも疑って掛かってしまうと不安な気持ちが起きて、いい結果を出さないのではないかと思います。
でも、ぜったいの信頼を持って、「大丈夫!」と思うと大丈夫なように天が全て整えてくれるのだと思うのです。
自分がやろうと思うと不安が起きますが、天におまかせして使ったいただくと思えば天が導いてくれるのだと思います。
印を組む時には数をたくさんこなすよりも、数は多くなくとも、一生に一回の印を組むつもりで行うことが大切との方法もあります。
数を組むということは今の印に自信がないから何回も組むという見方もできます。
(もちろんたくさん印を組むことが悪いというわけではありませんが。
人によっても違うと思います。)
ほんとうに天を信頼していれば、全ては一生に一回なのでしょう。
お金に関しても同じだと思うのです。
天を信頼して必要なお金は必ず入ってくると思うと、頭では想像もしなかった方法でお金がやってくる時があります。
反対にこれこれこういうことを行うためには、まずこれをして、いくら稼いでから、次にこの仕事をして、、というような計画を経てても、上手く行かない場合が多いのではないでしょうか?これはきっと、自分でやろうとしていて、天を信頼していないからだと思うのです。
天を信頼するのには覚悟が必要なのだと思います。
思ったのは覚悟を決めるということは天にお返しする部分が必ずあるということです。
この前の日記で集会に行くか仕事をするかで迷った時に集会を取ったら、帰りの電車の中で仕事の依頼が入ったというのは、その日の仕事を天にお返ししたら、もっと大きな仕事となって帰ってきたわけです。
その日の仕事というのは自分の自我の部分だったのかもしれません。それを天にお預けしたことで、ある部分は天におまかせしたのです。
さとりを開いた聖者はこの3次元的な欲を絶つという話しがよくありますが、
さとりを開くための覚悟として3次元的な喜びや欲を天にお預けすることで、自我をなくしているとも言えます。
そのようなことが、自分の日常にも色々と試されていて、そうした体験がさらに天を信じておまかせしていくための修行になっていることを感じさせていただいています。
あと思うのは一度覚悟が決まるとあとは楽になるということです。
迷っていて、中途半端な時は辛いですが、お返ししてしまったあとというのは、もう天が上手く行くように仕組んでくださっているので、上手く行った喜びが先周りしてやってくる場合があると思うのです。
先ほどの仕事よりも集会を取った時の例では、集会に向かう時にはもう開き直っているので、仕事のことなど忘れて、集会で上手く行くことの意識に変わっています。
天に素直に「はい」これが大切だと実感しています。